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インド旅日記
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インドあれこれ
インドあれこれ
1、自由旅行は可能か
2、日本人の価値基準を持ち込むな
3、列車
4、危険か
5、安全対策
6、チャイでも一緒に飲みませんか
7、ツアーのみやげ物屋
8、ガイドの料金トラブル
9、運転
10、レストランの店長とデジカメ
11、貧しい人々がたくさんいる
12、動物たちと共存
13、トイレ
14、下痢と嘔吐
15、小学校

1、自由旅行は可能か
インドは、他の国のように気が向いた時に駅に行き、好きな列車に乗って自由に動き回れる国ではない。自由旅行には向かない国なのだ。そして、これはどのガイドブックにも書かれていないが、インドを旅する上では最も重要なポイントとなる。

まず、インドを旅するためには事前に綿密な計画を立て列車の予約を取っておく必要がある。勿論これは限られた時間の中で効率良く旅をしたいと考える人に対するアドバイスであって、時間の制限のない本物のバックパッカーや予約の必要ない2等自由席で移動するという人たちへのものではない。特に混むことが予想される冬場の旅行シーズンでは、1ヶ月以上前に列車の予約を入れておくことが望ましい。それ以降でも席を取ることは可能だが、希望する座席が取れなくなってしまう可能性が高い。

列車の予約はインターネットでもできるが、旅をするためには列車の予約だけでは済まないので、旅のアドバイスを得ることも含め、全てをまとめて信頼できる旅行会社に頼んでみるというのもひとつの選択肢ではある。個人で手配するのに比べれば高くなってしまうが、安全も一緒に買うつもりならば高くはないのかもしれない。また、インドでは移動手段に車を使うことも含めて個人でツアーガイドを雇ってもビックリするほど高くはないので、効率良く回る手段のひとつとして旅の一部に活用するというのも一つの方法ではある。でも、結局のところ、これでは自由旅行とはかなりかけ離れたものとなり、日本からツアーで来たのと変わらなくなってしまう。逆に、日本で申し込んで来たツアーの方が日本人の感覚でホテルや乗り物、食事等が選ばれているので間違いがないのかもしれない。

2、日本の価値基準を持ち込むな
ガイドブックには、「インドの旅行会社でだまされた」 という投稿が数多く載っている。こちらに来て感じたことだが、これはもしかすると、日本人とインド人との価値基準の違いが原因の一部にあるのではないだろうか。



ここインドでは、ホテルもバスもタクシーも列車も、何もかもがレベルが低い。元々の造りが非常に粗雑なうえに、メンテナンスも掃除もいい加減だ。こんな国だから、日本人の旅行者が納得する普通のホテルやバスを確保するのはかなり大変だ。タクシーもバスも、目に入るのはどれもボロボロな車ばかり。塗料が剥がれた上に色違いのペンキが雑に塗られている。シートはどの車もボロボロに破れている。車内はホコリだらけ。だが、インドではこれが当り前で、日本人が考える普通のタクシーやバスはまず見当たらない。キレイな車は個人のものだけだ。

ジャイプルに到着する直前、プライベートガイドから 「今晩はマハラジャ気分を味あわせてあげる」 と云われた。「どんなすごいホテルなのだろう」 と期待して行くと、部屋は確かに広いが、造りもメンテナンスもインド標準。既にインドの状況が分かっていたので何も文句は云わなかったが、日本から団体客でも連れて来ようものなら大クレームになることは間違いない。ただそれは、受け入れ側に悪意があったからというのではなく、それがインドでできる精一杯のもてなしなのだ。1泊に例えば数万円を支払うつもりがあるのならば、インドでも日本人が納得するホテルを探すことはできるのかもしれない。だが、一般の旅行者が泊まる宿ではなかなか難しいのではないだろうか。

また、旅行者の不満のひとつに、「ボラれた」 というのがある。例えば、サイクルリキシャでインド人の何倍もの料金を取られたというようなものである。でも、私は2倍や3倍出しても良いと考えている。リキシャマンたちは決して良い暮らしなどはしていない。裸足や手足も頭もホコリだらけなのは当たり前で路上生活者も多いのだろう。売上げの中から元締めにリキシャの借り賃を支払い、残ったわずかばかりのお金を手に入れる。地方から出て来て故郷の家族に送金している人たちも多いことだろう。そんな彼らに外国人旅行者を乗せた時ぐらい少々儲けさせてあげたって良いではないか。支払う我々にとってもたいした金額ではないのだから。

3、列車
インドの列車はエアコン付きの1等車から2等の自由席まで何段階にも別れ、それらの料金には10倍以上もの開きがある。2等の自由席はインド人でギュウギュウ詰めで、とても外国人が長時間乗っていられるものではない。また、盗難などの危険も伴う。エアコン1等車が2等自由席の10倍以上もの料金とは云っても、貨幣価値の違いから我々日本人にとってはそれほど高いものではない。私は安全と快適性を最優先に考えてエアコン1等車のみを使って旅をしたが、日本人の目には1等とは名ばかりのボロ列車である。造りもメンテナンスも掃除も全てが悪い。



ただ、1等車の乗車口わきの小部屋にはその列車専任の番人が乗っているので、予約した乗客以外が乗り込んで来ることは難しく、盗難などの心配は少ない。また、その番人は乗客全ての降車駅を把握していて列車が目的地に到着する直前に知らせてくれるので夜行で早朝到着する場合などでも乗り過してしまうことがないのは有難い。



インドの列車は長く、各車両間は行き来できないようになっているので、目的の列車が駅に到着した時にはすばやく自分の乗車する車両を探し出す必要がある。一番簡単なのは、ポーターを雇うことである。50ルピー(130円)程度で荷物を運び座席まで案内してくれる。インドを旅していて、インドの旅の魅力とはこんな所にあるのではないかと実感した。人があり余っている上に物価が安いので人を安く雇えるのだ。旅をするにつれ、だんだんマハラジャ(王様)気分になってくる。小額のお金で金持ち気分が十分味わえるのだ。ただ、全体のレベルはかなり低いが・・・。

インドの列車は良く遅れる。良くと云うより必ずと云った方が良いのかもしれない。プラットホームの上にある電光掲示板には、次の列車の列車番号、目的地、発車予定時刻と共に、予定時刻からの遅れ時間が表示されるようになっている。最初遅れ時間の表示が良く分からなかったが、日本人のように時間をキッチリ守ろうとか遅れを取り戻そうなどという意識はなさそうだ。

バナーラスに到着する直前、早めにドアの近くに行き列車が停車するのを待っていた。列車がいよいよ駅に近付きスピードも遅くなったところで車掌がドアを開けた。すると、ドアの外側の手すりには、小学校高学年くらいの男の子二人が、それぞれヤカンとコップを片手に持ち、もう一方の手で手すりにつかまっていた。バナーラスまで無賃乗車でチャイを売りに来たのだろう。早朝まだ早く外は真っ暗で、開けたドアから吹き込む風はインドといえどもかなり冷たい。その子供たちも凍えた様子でつかまっていた。

アーグラ郊外のTundla駅の待合室で列車の到着を待っていた時のこと。誰かが指を指すので、その方向を見てみると、な、な、何と!!ドブねずみよりももっと大きなねずみが部屋の隅にいるではないか。列車が到着する直前ホームで待っている時にも、線路の中には何匹ものねずみが走り回っていた。いろいろな動物と共存しているお国柄だから、ねずみも気にならないのかもしれない。

4、危険か
インドに来る前には多少の不安があった。インドのガイドブックを読むと、それまでに行った他国のガイドブックに比べて明らかな違いがあった。それはトラブル事例の数である。インドのガイドブックには数多くのトラブル事例が紹介されていた。それだけトラブルが多いということなのだろう。まずは事前にそれらを熟読し、彼らの手口を十分頭に叩き込んでおくことが重要である。

危険な犯罪に巻き込まれる可能性もないわけではないが、多くの場合には置き引きやスリ、料金トラブルなどの軽犯罪のようだ。日本からデリーに到着した初日、ホテルのロビーで旅行会社の人と列車の切符手配について相談していた時の事。若い日本人女性が駆け込んで来た。聞いてみると、マクドナルドで荷物を全て置き引きされたとのことだった。いつもは注意しているのに、一瞬油断したスキに盗まれてしまったようだ。財布からパスポートまで全てを失い途方に暮れていた。旅行会社の人も慣れているのか、パスポートの再申請の方法などを説明し手持ちのお金を貸していた。インドに到着したばかりなのに、早速インドの現実に直面してしまった。

その後実際にインドを旅して感じたのは、やはり危ないワナが至る所で待ち構えているということだ。駅周辺や観光地では数え切れないほどの客引きや得体の知れないガイドが声をかけてくる。真面目に商売をしている人たちも勿論多いはずだが、ちょっと怪しいと思える人も何人かいた。その判断が非常に難しいし、良い人でも状況により悪人に変貌するかもしれない。まずは、ちょっとでも怪しいと感じたら付いて行かないこと。怪しい所(部屋、店)には入らない。出された飲み物、食べ物は基本的に口にしないこと。だまそうとする人は、常に良い人を装う。時には時間をかけ何日にも渡って信用させることもあるという。だから、残念だが他人はまったく信用しないほうが良い。時には白人旅行者や日本人旅行者がグルになってだますこともあるという。



バナーラスのマニカルニカー・ガート(火葬場)で、一人のしつこい男(上の写真の男)に付きまとわれた。「今、学生で火葬場や沐浴場を案内するから、その後店に来てくれないか」 と云う。「自分の仕事は客を連れて行くだけだ」 とも云っていた。でも、どこか怪しげで、まったく信用できない。それにガイドなんかして欲しくないし、買い物もしたくない。「ほっといてくれ」 と何度も云ったが、一向に離れようとしない。やっと離れたかと思うと、どこかで監視していたようで、また近付いてくる。ここでガイドブックに書かれていた過去のトラブル事例を思い出していた、ここの路地はまさに迷路状態なのだが、この迷路のような路地をグルグル案内されたあげくに店に着くと、チャイを振舞われた。それを飲むと寝てしまい、気付いた時には身包みをはがされて人の住んでいないガンジス川の対岸(下の写真)に放り出されていたというのである。



連れて行かれた店を探し出そうにも、迷路のような道を連れ回されたので、後からでは場所を特定できないという。下手をすると睡眠薬が効き過ぎて命を落とす危険すらある。その男もどこか怪しげで何度断ってもしつこく付いて来たが、なんとか振り切った。

コルカタの世界中のバックパッカーが集まると云われているサダルストリートを歩いていた時の事、一人の男が声をかけて来た。その時は宿を探していた最中なので、全ての荷物を担いだまま歩いていた。たわいもない話しの後、「チャイでも飲みながら話しませんか」 と来た。勿論断った。それ以外にも、「麻薬はどうだ?」、「女はいらないか?」 などなど、宿やタクシーの勧誘だけではなく、怪しい誘いは山ほどある。くれぐれも多くのワナが待ち構えていることを肝に銘じて行動して欲しい。



対策は、事前に良くトラブル事例を研究しておくこと。また、現地の安宿街には旅の先輩方が大勢いるはずだから、彼らのアドバイスを得る事。できれば、いくつか他の国で旅の経験を積んでからインドに来る事。インドならば安く旅ができるなどという安易な理由だけでは決して来て欲しくない。事前に十分な準備を重ね、慎重に行動することが重要となる。

これらの基本行動を守っている限り、インドは決して危ない国ではない。街の至る所に小銃を持った警察官(軍人?)が立っているが、凶器を持った強盗などはまずいないようだ。怪我をさせられたり、殺されたり、物をひったくられたりする可能性も少ないと思う。

アーグラの夕食で一緒になったオランダ人と話したところ、彼の経験でも特に危険などは感じなかったと云う。それどころか、南アフリカやメキシコなどに比べたら、はるかに治安は良いという印象を持っているようだ。確かに、世界中にはインドよりもはるかに危険な国は多数存在し、そこでの犯罪には必ず凶器が使われるはずだから常に命の危険がある。そんな国々と比べたら、インドは危険な国などとは云えないのかもしれない。

アーグラのホテルでチェックインしようとした時のこと。「日本人は泊められない」 と断られた。数ヶ月前に日本人大学生が夜中2時頃到着したデリー国際空港で行方不明になった事件が起きている。その大学生がアーグラで泊まったホテルが、このホテルだった。部屋は空いているが、また巻き込まれると困るから日本人は泊められないと云う。しかも他の多くのホテルも日本人旅行者を拒否しているようだった。結局泊まるホテルは運良く見つかったが、どのホテルのフロントにも行方不明になった日本人旅行者の捜索願いが張り出されていた。

こんな凶悪な犯罪もないわけではないが、それは日本でも同じこと。旅の基本ルールを踏み外さない限り、それほど頻繁に起こることとは思えない。だが、もし私の息子が私と同じように 「インドを一人旅したい」 と云い出したら・・・・、私は 「絶対やめとけ」 とアドバイスする。

ただ、そこまで云われても、「それでも、どうしてもインドに行きたい」と云う方には、ひとつの選択肢としてインドの旅行会社に相談することをお勧めしよう。これは自由旅行とはかけ離れてしまうことになるが、常にガイドが付いた状態で行動することになるため、より安全に旅ができるはずだ。次の街に移動する時にも列車に乗車するまでの案内を行ってくれ、次の目的地では別のガイドが待っていてくれる。それら列車やガイドの手配から観光、食事、ホテルまで旅の全てを旅行会社が手配してくれるのだ。もし、あなたに十分な海外個人旅行経験があり、多少のトラブルも旅の思い出のひとつとして考えるのならば構わないが、それほど経験がないとした場合には是非選択肢のひとつとして考えて欲しい。まずは多少出費が増えることになっても、第一に安全を買ってみることだ。自由旅行はインドの状況が分かった次回に回しても遅くはない。

ただ、ニューデリー駅周辺の旅行会社は全般的に評判が悪いため、現地に行ってから探すのではなく、事前に評判の良さそうな旅行会社を選んで相談してみよう。ガイドブックにはいくつもの旅行会社が紹介されているので、その中から読者のコメントを読んで気に入った旅行会社を選び、メールか電話で自分の大まかな希望コースや日程、予算などを連絡して相談してみることだ。内容が気に入らなければ断れば良い。まずは聞いてみよう。

5、安全対策
インドに限ったことではないが、ここで私流の旅の安全対策についてまとめてみる。
(1)バッグに、カバーあるいはカギをかける。
安全対策はなるべく目立つようにアピールしたほうが良い。カギはより大きい物を、クサリはより太い物を、カバーはより派手な色の物を使った方が良い。単に防護するだけではなく、それを見せることもより重要となる。スリや置き引き犯から見れば、周りには多くのカモがいる。その中で、「これは手ごわい」 と判断されればカモにはされにくいはず。
(2)路上で話しかけられた人には原則付いて行かない。
話しかけてくるのは、彼らにそれなりの目的があるため。ホテルやタクシーの紹介など、うまく利用すれば旅行者に役立つ場合も多いが、常に警戒を怠らず注意して行動すること。
(3)出されたお茶や食べ物は絶対口にしない。
好意で出してくれることもあるはずだが、それが好意なのか悪意なのかの区別がつかない。相手の気持ちを害することがあっても、自分の身を守るためには仕方がない。悪意を持った人は信用させようと振舞うため、より善良な人に見えるはずだ。
(4)貴重品は人前では出さない。
財布やパスポートなどの貴重品は、中身や保管場所を特定されるとターゲットにされる可能性がある。
(5)ホテル名や滞在日数などの個人情報は、むやみに他人に明かさない。
多くの場合には、質問してくるその人にはまったく関係ないはずだ。その情報を得ることによりターゲットにされる可能性がある。
(6)サイフやパスポートなど重要な物は常に身に付ける。
万が一、カバンやバックパックが盗まれても困らないよう貴重品は常に身に付けて行動する。あるいはホテルの金庫に保管する。持ち歩く場合にはサブバッグなどに入れるのではなく、ズボンやシャツの内側に隠せる旅行用の専用ケースを利用すること。
(7)人前で出す小銭入れの中身は最小限にしておくこと。
観光等で街歩きをする時は、小銭入れを用意し、必要最小限のお金だけを入れておくこと。もし使う予定がないのであれば、クレジットカードも入れておかないこと。状況のまったく分からない外国旅行中では、持ち物をスラれたり強盗に遭う可能性は常にある。万一の場合に備え、もしそれらの被害に遭っても、被害がなるべく小さくなるように、そしてその後の旅が問題なく続けられるように、中身を絞った小銭入れを用意し普段はそれを使用すること。
(8)早朝あるいは深夜の一人歩きはしない。
人通りの少ない早朝や深夜の行動は控えること。
(9)人通りの少ない所には行かない。
早朝や深夜でなくとも、路地裏など人の少ない場所には立ち入らない。また、どこであろうと、通行人や観光客など周りに見える人数に注意を払い、常にある程度以上の人々が周りにいる状態で行動すること。
(10)カメラや小物をバッグに入れる時は、カメラのヒモをバッグにからませておく。
肩にかけたバッグは常に体の前に来るようにして監視するのが基本だが、カメラをバッグに入れる時はカメラのヒモをバッグのヒモにからませて入れておくと、万が一バッグからカメラをスラれそうになった時でも、直ぐに分かり対処できる。ただし、場合により危険を伴うため、下手にそれによって犯罪に遭うよりも物を盗まれた方が良いという考え方もある。
(11)バッグやカバンを床に置く時は常に体の一部が触れているようにする。
切符の購入やホテルのチェックインなどで荷物を床に下ろす場合には、バッグから手を離さず、あるいは足ではさむなどして、常に体の一部でバッグの存在を感じるようにする。
(12)一瞬たりとも、バッグから目を離さない。ましてや、置いたままどこかに行くようなことはしない。
駅の待合室やファーストフードでの座席の確保などの為に、イスに荷物を置いたまま席を外すようなことはしない。どうしてもそうせざるを得ない場合には、荷物をワイヤーとカギでイスなどに固定しておくこと。ただしそれも完璧というわけではなく、バッグをナイフで切り裂かれて荷物を盗まれたという話しは多数聞く。安心はしないこと。。
(13)タクシーに乗る時は、荷物をトランクに入れず座席に持ち込むこと。
運転手から荷物をトランクに入れるように云われても、荷物から手を離さず常に自分と一緒に座席に持ち込むこと。そうしないと、万が一の場合にタクシーから逃げ出せない。また、私の経験では、タクシーを降りた時に荷物を降ろす前に走り出されそうになったこともある。
(14)他人は信用しないこと。
近寄って来る人は、何らかの目的を持って近寄って来ている。我々旅行者にとっても、安ホテルの紹介やタクシーの確保など役に立つ場合も多々あるが、だますつもりの人は何日もかけて信用させてからだますこともあるという。見分けられないので、基本的に誰も信用しないつもりのほうが良い。
(15)小さいサブバッグとバックパックとの荷物配分に気を付ける。
万が一バックパックとサブバッグのどちらかのバッグが盗まれた場合でも、もう一方の荷物だけで何とか帰国できるように荷物配分を考える。パスポートやカード番号などはコピーや連絡先を取っておく。
(16)背後にも目を持つこと。
街歩きをしている時など、つい目の前のことだけに注意を向けがちだが、常に背後にも気を配りながら行動すること。特に一人旅の単独行動はカモとして狙われ易いので、背後からついて来る人がいないかどうかなどに注意する。時々何気なく後ろを振り返ったり、休憩しながら周りの人たちを見回したりなどするだけでも、狙っている相手には威嚇になるはずである。
(17)事前にガイドブック等のトラブル事例を良く読んで典型的なトラブルを頭に叩き込んでおくこと。
経験から云えば、ガイドブックのトラブル事例を良く読んでおけば大半のトラブルは防げるはず。現地でトラブルに遭った日本人旅行者に何人も会ったが、全員に云える事はみんな典型的なトラブルに遭っているということ。そして、事前に良く事例を研究しておけば防げるものばかりだった。

6、チャイでも一緒に飲みませんか
インドではどこに行っても必ず人が寄って来る。追い払っても、入れ代り立ち代りで切りがない。誰でも良いからしばらく付いていてもらえば問題がない。暗黙のルールがあるようで、誰かがお客を見付けた場合には、その人に割り込んでお客を奪い合うようなことはしない。そのため、わずらわしいと感じたら誰かに決めてしばらく話していれば良い。インド人に聞いたところでは、これは外国人だからというわけではなく、インド人が観光地に行ってもまったく状態は変わらないということだった。

近寄って来る人のパターンは、いつもだいたい同じだ。まずは 「どこから来たのですか」 に始まり、「日本のどこですか」、「ホテルはどこに泊まっているのですか」、「何日ここにいるのですか」 と進んで行く。

絵葉書やみやげ物の販売、ガイドの勧誘なども多いが、場合によって 「チャイでも飲みながら話しませんか」 と来ることがある。これが危ない。ほとんどの場合には問題ないのかもしれないが、悪意を持った相手の場合には飲まされたチャイに睡眠薬が入っている可能性がある。それを飲んで寝てしまうと、身ぐるみをはがされてどこかにほおり出されてしまう。薬の量が多過ぎると、そのまま死に至ってしまう可能性すらある。私も何度か同様の誘いを受けているが、全て断っている。それは安全な人と危険な人の区別が難しいからである。だまそうとする人は人一倍信用を得ようと振舞ってくるから信頼できる人に見えてしまう。



勿論全ての誘いが悪意を持って来るわけではない。コルカタからガヤーまで夜行の1等車に乗った時のこと。4人部屋の個室になっているが、乗客は最初私一人だった。ところが、発車直前になって一人のインド人が乗り込んで来た。挨拶を済ますと 「酒は飲むか」 と聞きながら胸元からウイスキーの小瓶を取り出した。



元々酒は嫌いでない性分なので 「飲みましょう」 と答えると、準備の良いことにつまみまでケースに入れて持って来ていた。そのケースのフタを器にすると、「そんなにいい」 と云うのも聞かずウイスキーをたっぷり注ぎ込んだ。そして、「飲んで、食え」 と云う。私だけがそのウイスキーに口を付け、つまみを食べた。ここでハッと気が付いた。相手はまったく飲み食いしていない。私だけに勧めている。「これは危ない」 と思い、「この酒は強過ぎて、これ以上飲めない」 と断った。相手は、「水で薄めて飲め」 と云う。「いやいや、これ以上は無理です」 と何とか断った。もしかすると、私を眠らせてその間に荷物を盗むつもりではないだろうか。「早く気付いて良かった」 とホッと一安心。すると、そのインド人はウイスキーを器に注ぐと水で薄め一人で飲み始めた。「な~んだ、ただの酒飲みで相手が欲しかっただけなんだ」 でも、これもインドでは仕方がないこと。相手を不愉快にさせてしまうことも多々あるだろうが、自分の身を守るためには仕方がない。

7、ツアーのみやげ物屋
ジャイプルでみやげ物屋に連れて行かれた。その前に、何度も 「連れて行っても、何も買わないよ」 とガイドに云っていたにもかかわらずである。そこは現地で取れた宝石を磨いてネックレスや指輪を製造販売している所だった。まったく欲しくない上に、宝石の出来もインド標準だった。本物なのかどうか価値も良く分からない。結局何も買わないで店を出たが、その後 店の外でテーブルを囲み 店長と他のインド人も数人、それにガイドも加わってチャイを飲みながら雑談をした。店長は私が何も買わなかったものだから、片言の日本語で、「ビンボー」 とか 「日本人はチ○コが小さい」 などと云ってきた。もう一人のインド人は、「この地域はインドの中でも気候が厳しくすごく貧しい地域なんだから、みやげ物を買ってくれなかったら我々はどうやって生活したら良いんだ」 と半ば怒っていた。でも、欲しい物がないのだから仕方がない。

8、ガイドの料金トラブル
ナルガール要塞に到着する道すがら、運転してくれたプライベートガイドが携帯電話で連絡を取り、要塞内部の説明員を手配してくれた。入る時に、「ガイド代は50ルピーで良いから」 と云っていた。特に説明などして欲しくはなかったが、せっかく手配してくれたので説明を受けながら内部を見て回った。



すると、案内の途中でもう一人別の男が現れ交代した。説明自体は丁寧でまったく問題なかったが、案内が終わり料金を支払う段になると表情が一変し、「100ルピーから500ルピー(260円~1300円)支払え」 と云う。「事前に聞いていた話しと違う」 と云っても取りあわず、仕方がないので100ルピー支払うと、「もう1枚」 と云ってきた。「駄目だ」 と断ると、「それではボールペンをくれ」 と云う。丁度2本持っていて、1本はほとんどインクが残っていなかったので、それをあげた。すると、途中で交代したもう一人の男が、「俺の分は?」 などと云ってきたが、「100ルピーを二人で分けろ」 と云って帰って来た。

車で待っていたプライベートガイドが 「グッド?」 と聞くので 「グッドじゃない」 と云い、今起こった出来事を話したところ、憤慨して 「取り返してやる」 と彼らの所に一緒に戻った。彼が文句を云うと、彼らは100ルピー札を取り出し 「料金はいらない」 と云ってきた。勿論約束通り50ルピーは支払い、胸のポケットに刺さったままのボールペンも取り返した。後で考えてみると、いつもこの手口でツーリストから金を巻上げているのだろう。

デリーの旅行会社でプライベートガイドと列車予約を手配した時に、旅行中の出来事はホームページで公開すると予め話していた。そのためか、関係した双方のインド人共、トラブルがネットで公開されることや 「地球の歩き方」 に代表されるガイドブックに投稿され評判が悪くなることをかなり恐れているようで 「勘弁してくれ」 と謝っていたが、「これは事実として、また今後に続くツーリストへの貴重なアドバイスとして絶対公表する」 と云い切った。だが、プライベートガイドも自分の立場上まずいようで車に戻ってから関係がしばらく悪くなってしまった。

9、運転
インド人の運転は、かなり荒い。渋滞も激しく遠慮していたら前には進めない。車線はあっても、ないに等しい。キッチリ守って走っている運転手はいない。信号も無視する。聞くと、警官がいなければ良いのだとか。どの車も他の車に道を譲るとか歩行者を優先する気持ちなどまったくないようだ。歩行者が渡ろうとしても自分の進路をジャマされないように無理やり入って行く。歩行者は車の流れが切れるのをじっくり待ち、切れた間に急いで渡る。歩行者も車が止まってくれると信用していないのか、日本人の私よりもはるかに慎重でなかなか渡らない。よくこれで事故が起きないものだと感心してしまう。

運転中のクラクションも激しい。日本ではめったにクラクションを鳴らさないが、ここインドではクラクションを鳴らすのが当たり前のようだ。多くのトラックの背後には「Blow horns」のように書かれていて、追い抜く時にはクラクションを鳴らして合図をするようだ。街中でも、ただでさえ混んでいて動かないのに 「ビービー」 鳴らす。これを見ている限り、インド人はかなりせっかちな人種だと思える。

ガソリンや軽油などの燃料は、かなり高価なようだ。聞いたところでは、ガソリンが1リッター75ルピー(195円)、軽油が35ルピー(90円)だとか。貨幣価値が1桁も違う上にこの価格なのだからかなり高額である。そのためか、タクシーに乗ると信号待ちではエンジンを切る。下り坂でもエンジンを切り惰性で走る。でも、燃料の質はかなり悪いようだ。それとも排ガス対策が遅れているためか、毎日ホテルに帰ると鼻の中が真っ黒になっていた。



タクシーの大半は、インド製のアンバサダー。しかも全てがボロボロ。この写真ではきれいに見えるが近くで見るとひどいものだ。60km/hを超えると音と振動が異常に大きくなり、70km/h程度が実用上の限界と思える。車がボロいので体感速度はかなりあるが、スピードメーターを見てみるとスピードはたいした事がない。ただ燃料費が高いせいか、タクシー代は決して安くはない。

プライベートガイドの車でアーグラーの街に着いた時、既に日も落ち私の目には既に真っ暗な状態だった。だが、どの車もなかなかライトを点灯しようとしない。良く見てみると、自転車やリキシャにはそもそもライトそのものが付いていない。街灯もほとんどなく、またやっと点灯し始めた車のライトもものすごく暗いので、道はほとんど見えない。インド人はかなり目が良いのだろうか。道は人と車とリキシャでひしめいていて、まるで年末のアメ横状態だが、みんな猛スピードで突進して行く。混雑が激しいので遠慮などしていたらまったく前には進めない。となりに座っていてもヒヤヒヤもので、まさにジェットコースター状態だ。

10、レストランの店長とデジカメ
ジャイプルで、夕食を食べようとホテル近くのレストランを探し入った。例のごとくデジカメを持っていると、店長が興味を示し 「いいカメラですね」 と近付いてきた。「いくらくらいするのですか」 と聞くので概略の価格をルピーで示すと想像したよりも安いようだった。貨幣価値が違う上に輸入関税がかなり高いのだろう。

「撮ってください」 というので数枚写して見せてあげると喜び、仲間に声をかけて集めさせ 「厨房の中に付いて来てください」 とのこと。一瞬、疑ってしまった。仲良くなって自分の部屋に引き入れると、仲間が集まりドアをロックして腕時計をねだるという手口を日本から出発する直前に読んだばかりだったからだ。営業中のレストランだが、出入りしている客もインド人ばかりだから油断はできない。でも、厨房で4人かたまって写真を撮るだけで終了した。



テーブルに戻ると、今度はオーダーした料理が気になってきた。はたして食べても大丈夫なのだろうか。トラブル事例では、仲良くなってからレストランに連れて行かれ一緒に食事をすると、レストランの従業員もグルで食べ物の中に睡眠薬が入れられ寝込んだ所で身包み剥されて外に捨てられるのだという。

やっとオーダーした料理とビールが運ばれて来たが、「もし眠くなったり、覚せい剤で気分が悪くなり始めたら急いでホテルに逃げ帰らなければ・・・」 などと考えていたために食がまったく進まず半分ほどしか食べられなかった。もしかすると、これはガイドブックの読み過ぎなのだろうか。全てが怪しく思えてしまう。

なお、「写真は後でメールで送ってあげるから」 と云うとすごく喜び、食事が終わって帰る時も 「いつ日本に帰るのか」、「何日ぐらいで送ってくれるのか」 としつこく聞いてきた。我々日本人にとっては自分の写真などまったく珍しくもないが、彼らにとってはかなり貴重なもののようだ。

11、貧しい人々がたくさんいる
まず、想像以上に貧しい国である。特に、デリーからコルカタに近付くにつれ、物乞いや路上生活者の数が増えてくるように感じる。バングラデシュなどから難民として入って来るためなのだろうか。物乞いは小さい子供から老人まで数が多いのでお金をあげていたら切りがない。

子供の物乞いは、たぶん自分では乞食という感覚ではなく、自分も働いて少しでも親を助けてあげるつもりなのだと思う。写真の子は、弟を連れた女の子で写真を撮らせてもらったお礼に少しのお金をあげた。



翌日偶然にもその子とまた会ったが、弟は連れていなかった。「昨日撮った写真が欲しい」 と云う。たぶん自分の写真などほとんどないのだろう。「お母さんに会ってくれないか」 と云うので付いて行くと、その子のお母さんは小さなみやげ物屋をやっていた。「今すぐ写真を渡すのは無理だから後で日本から送ってあげるから」 と、紙とボールペンを出したが、お母さんは字が書けない。持っているハガキを何枚か見せられ、「住所はここだ」 と云うが、手書きの文字は判読が難しく結局住所は分からないまま終わってしまった。

アンベール城に着いた時だっただろうか。駐車場に車を止め外に出ると、男の子が突然手に持った小石を使い私の目の前で手品を始めた。これも生活の知恵なのだろう。ただ物乞いをしていたのではなかなかお金をもらえないので考えたのだと思う。結局その子には5ルピー(13円)をあげたが、ニコッと喜んでいた。

インド人全体に云えることだが、みんな金儲けに非常に熱心である。いくら断ってもなかなかあきらめない。ひとつ買ってあげても、それだけでは終わらない。今度は別のものを売りつけようとする。日本人が既に失ってしまったガムシャラさを、彼らはまだ持っていると思える。

デリーの早朝、ゴミ箱をあさっている人たちがいた。大きな袋を持ち、ゴミの上に乗って目ぼしい物を選んでいるのだ。いったいゴミ箱にどんなお宝があるというのだろうか。



インドでは、風呂代わりに川や池で体を洗う姿は良く見る光景である。気候が暑いから風呂を沸かす必要がないせいもあるのだろうが、日本人の目にはあまり入る気にならない汚い水である。思い出せば、タイやベトナムでも同様の光景を見たような気がする。洗濯をし、食器を荒い、体も洗う。歯磨きもすれば、死体の灰も流す。便利な川である。

多くの寺では、中に入る時に靴を脱ぐようになっている。靴置き場には番人がいて、他の観光客を見ていると無料のようだが、靴を返してもらおうとした時に、何度かお金を要求された。外国人だと請求するようだ。小額のお金を渡すと急いでポケットに隠していた。



サルナートの遺跡に行き、そこで花の写真を撮っていた時の事。庭の手入れをしていた老人が近寄って来て、突然 「バクシーシ」(喜捨)と云って手を出してきた。勿論お金をあげる理由などないので何もあげなかったが、インド人には自尊心などないのだろうか。それとも、生まれ育ったカースト制度の中では、自分よりも金持ちからお金をもらうことが当たり前になっているためだろうか。

アーグラ郊外のTundla駅で夜0時過ぎの列車を待っていた時のこと。夜も遅くなり、それまでホームで物を売っていた人たちが、商品のそばでそのまま横になり眠り始めた。その他にも、駅のホームや待合室の床にそのまま横になりたくさんの人が寝ていた。

コルカタのホテルで朝8時頃出掛けようと部屋を出ると、フロント前のロビーと通路には従業員が足の踏み場もないほどの状態で布団を敷き寝ていた。なるべくその布団を踏まないよう気を付けながら外に出た。街中でも歩道にはたくさんの人が寝ていた。

12、動物たちと共存
他の国と大きく異なるのが、人々が動物たちと共存しているということだ。街の至る所に、犬、牛、ブタ、ヤギ、サルなどがいる。



交通の激しい道路の中にも、細い路地裏でも、駅のホームにも、店の中までも牛たちが入り込んで来る。人々もたいしてとがめるでもなく好きなようにさせて見過ごしているから、動物たちも穏やかでおっとりした表情である。声を出したりイラついた表情の動物はまったくと云って良いほど目に付かない。



13、トイレ
東南アジアの国々と同様に、インドでもトイレには紙がない。長い旅の間にはいつまでも紙を使っているわけにもゆかず、いずれインド式に手で尻を洗うことになるだろうと覚悟はしていたが、はたしてうまく手で洗えるものなのかどうか自信がなかった。でも、案ずるより生むが易し。実際にやってみると、意外と簡単でまったく問題がない。

最近の日本ではウォシュレットが普及しているためか、紙で拭くだけでは気分的に不満が残る。やはり水で洗った方がスッキリする。インドで泊まったホテルで、ウォシュレットもどきの洋式便器を何度か見かけた。実際に使ったわけではないが、考え方は日本のものとまったく同じだ。ただし、インド製なのでノズルが出入りするような高度な機能はなく、ただノズルが尻に向けて固定されているだけだ。蛇口の栓をひねり水を出すようになっている。はたして、ウォシュレットを最初に発明したのは、日本とインドのどちらなのだろうか。

バナーラスの街で夕食を食べた時の事。食べ終わってからトイレに行きたくなり場所を訪ねると、親切にも若い店員が案内してくれた。公衆トイレは路地を数十メートル進んだ先にあった。中は広々としていて、手桶が置いてあり水が汲めるようになっていた。そこで水を汲んで個室に入るのだが、なにしろ暗い。特に個室内は照明がないので、ドアを閉めると内部は完全に真っ暗になってしまった。それに、トイレ内には誰もおらず、個室に入ってドアを閉めると外部の状況が分からなくなってしまい危険でもある。一旦は入るのをやめようかとも考えたが、結局急いで用を足すことにした。

14、下痢と嘔吐
旅の最後の数日間は下痢と嘔吐で散々な目に合った。昼間はまだ良いが、夜になると一定時間毎にトイレに駆け込んだ。2日間続いただけで、かなり体力を消耗してしまった。体調は最悪で横になりたかったが、ガヤーからデリー行きの列車が予約してあるため、どうしてもそれに乗らなければならなかった。乗らないと日本に帰る飛行機に間に合わないし、次は何日後の列車に乗れるのかも定かではない。それよりも何よりも、一刻も早くこのいまいましいインドを去りたい気持ちが強かった。今まで何カ国も旅をしているが、こんな気持ちになった国は他にはない。

日本ならば、何種類ものスポーツドリンクやプリン、ヨーグルトなど、飲み易いもの、食べ易いものが簡単に手に入るが、ここインドではそうはいかない。水よりはジュースの方が水分と一緒に糖分も補給できるので良いだろうと飲んではみたが、数時間後には食べたバナナと一緒に全て吐いてしまった。胃がまったく働いていないような感じである。

デリーに向かう夜行列車の中でも何度もトイレに駆け込み、体調はまさに最悪。思考力も働かず、力はまったく出ず、体力も続かない。列車のベッドで寝ている間に時々襲ってくる吐き気と下痢で起こされると、だるい体にムチ打ってフラフラしながらトイレに向かった。そんな事を繰り返していた何度目かの事、やっとの思いでトイレまでたどり着き、便座に座って 「間に合った」 とホッと一安心・・・。だが、ン?待てよ!?モウロウとした意識の中で下を見てみると、何と!Gパンをはいたまま座っているではないか!だが時遅く、パンツとGパンは既に下痢で汚れてしまっていた。何とかパンツは脱ぎトイレのゴミ箱に捨てたが、Gパンは仕方がないので汚れたままの状態ではき直し、またベッドに戻って横になった。その時にはこれが精一杯で、もうそれ以上の対応ができるほどの体力も気力も残っていなかったのである。過去の人生を振り返っても、病気になって学校や仕事を休んだり入院した経験は何度もある。だが、これほどまでに体の具合が悪かったことは、私の記憶にはない。デリー駅に到着する頃には、既に体力の限界ははるかに超えており、もしこの状態がもう1日長く続いていたとしたならば私には倒れ込むどころか生きている自信がない。日本ならばとっくにギブアップしていたに違いないが、一人旅のこのインドの地では、どんな状態であろうとも倒れ込むわけにはゆかないのだ。

そんなこんなで何とかデリー駅に到着することはできたものの、一人ではもうバックパックを背負って駅の外に出るだけの体力が残っていなかったため、ポーターを頼み支えられながらやっとの思いで駅から外に出た。目的のホテルは、タクシー乗り場から線路をはさんだ反対側にある。元気ならば歩いて簡単に行ける距離だ。タクシーに乗り込むと、すぐ近くなのに高い料金(100ルピー/260円)を云ってきた。でも、マァいいだろう、もうデリーに着いているのだ。あとほんの少しの辛抱だ。「それでいいから早く行ってくれ」 すると、窓越しに外の男から声がかかる。「そのホテルは今閉まってるよ」 「OK、OK、それでもいいからスターパラダイスへ」、「泊まれないよ」 「いいの、いいの、分かっているから、スターパラダイスへ」 定番の自分の旅行会社に誘い込む手口だ。何度かそんなやり取りをしてから、やっと出発した。

ホテルに着きチェックインすると、早速近くの病院を紹介してもらった。その病院はホテルから歩いて数分でメインバザールの路地裏にあった。街医者という感じで、男の助手も一人いた。今までも何人もの似たような患者を診てきたのだろう。医者も手馴れたものだ。

治療は点滴から始まった。ところが脱水症状がひどかったためか、点滴の針を刺せる血管がなかなか見つからない。結局両腕に手の甲も含め十数か所も針を刺されてしまった。点滴は計4本、2リッター程度であろうか。これでかなり楽になった。下痢止めの薬と飲み水に混ぜる粉末をもらうとホテルに帰りしばらく安静にしていた。「水はできるだけ飲むように」 と云われたが、加えた粉末がまったく美味しくない。ガイドブックに書かれていたように、日本からポカリスエットやアクエリアスなどの粉末を持って行った方が良さそうだ。その後再チェックのために翌日も2度その医者を訪ねたが、40年振りぐらいになるのだろうか、尻に注射を打たれてしまった。

世話になった旅行会社の人によると、インドに来る日本人旅行者の90%は下痢をすると云う。そのため、これからインドへ行こうと計画している方は、絶対下痢はするものだという心積もりで準備をして行った方が良いと思う。

15、小学校
ブッダ・ガヤーで、近くのセーナー村に行った。ブッダ・ガヤーからは、橋を渡り歩いて20分ほどである。



ここセーナー村は、ブッダに乳粥供養をしたスジャータが住んでいた村だが、今ではストゥーパ(仏塔)が残るだけの小さな農村である。



そこまでの道すがら、いつものように子供たちも含め多くの人が話しかけてきた。ストゥーパに登り景色を眺めている間も、何度もしつこく声をかけてきた。「どこから来たの?」「日本のどこから?」「どこに泊まってるの?」 等々、いつもの同じ質問から、「是非、村の小学校を見てもらいたい」 というものだった。



何度も何度も断ったが、「見るだけで良いから」 とあまりしつこく云うので行ってみることにした。レンガ造りの3階建てで、その屋上に学校があり、丁度全校生徒が集合して朝礼をしているところだった。



しばらくすると、その子供たちは3グループに分かれて授業が始まった。数学年づつを一緒に教えているようだ。屋上には日本人のボランティアが建てたという教室(上の写真の屋根付きの建物)があり、2つのグループはその中で、残りの1グループは炎天下で授業をしていた。



まだ気候が良い時期だったので問題ないが、暑い時や雨季には授業が大変だと話していた。案内してくれた学校の責任者によると、インドでの就学率は30~40%程度で、特に地方の農村部が悪いそうだ。この学校でも遠い子供は10kmも離れた家から歩いて通って来るそうで、また20人の孤児もこの学校で生活していると説明してくれた。運良く学校に来られるこの子供たちでも決して裕福というわけではなく、洋服や食べ物が不足しているので日本から送ってくれないかと云われた。そんな説明を受け実際子供たちを目の当たりにすると、そのまま立ち去るわけにも行かず多少の寄付金(500ルピー/1,300円)を渡して帰って来た。

セーナー村からまたブッダ・ガヤーに戻り夕食を食べようと適当な食堂を探していると、インド人が声をかけてきた。そこで適当な食堂を紹介してくれたのはいいが、一緒に付いて来て私の食事中も話し込んでいった。世間話しの中で、さっき行った学校の話しをすると、渡したお金のうち学校や子供たちのために使われるのはほんの一部で、あとは学校の関係者にピンハネされてしまうのだと聞かされた。

その後デリーに戻り、下痢と嘔吐で街医者に診てもらった時のこと。点滴をしてもらいながら医者と話しをしていてこの話題になった。インド政府はかなりの予算を教育改革のために割いているそうだが、そのお金が末端まで届かず途中で搾取されてしまうのだと云う。それがインドの大きな社会問題のひとつだと話していた。そのお医者さんも子供たちに本をプレゼントしたことがあるそうだが、教室で渡した本はその後先生たちが集め直し、そのうちの数冊だけが子供たちに渡されたのだとという。本当に子供たちの手に届けたいのならば、各家庭を訪問し直接渡さなければ駄目だと話していた。
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